やってもたー!日記

大阪・門真でライブカフェやってますが、内容はそのことだけにこだわらず自由に投稿してゆきます。最近公私共に「やってもたー!」と思うことが多いのでこんなタイトルになりました。暇つぶしに楽しんでもらえると幸いです。

いぶし銀木戸修!なのだ


’89録画 三国対抗戦 2/2 木戸vsザンギエフ、長州vsベルコビッチ、マサ斎藤vsハシミコフ


ご存知のプロレスファンは多いかと思いますが、かつて新日本プロレスそして第一次U.W.F.に木戸修というプロレスラーが在籍していました。
日本プロレスでプロレスデビューした後、アントニオ猪木が新日本プロレスを旗揚げした際に新日本へ移籍。
正直言って地味な選手で、日本人外国人問わず大物選手に勝つことは滅多にありませんでした。初来日の外国人選手の最初の対戦相手として充てられ、当然ながら負けてしまう、そんな存在でした。
子供の頃は金曜8時のワールドプロレスリングにたまに出てくる木戸選手を観て「また負けた、弱いなー」なんて残酷なことを平気で思っていたりして(ゴメンナサイ!)。
しかしながら、彼が率先して外国人選手と戦うことで、他の日本人選手たちが対策を立てられるということで、かなり貴重な存在であったとされていました。
しかしそのレスリングセンスによりプロレスの神様こと故カール・ゴッチ氏に「My son(息子)」と呼ばれるあたり、この人本当はかなりの実力者なんです。
そのゴッチ氏の誘いによりU.W.F.に移籍してからは藤原喜明選手や前田日明選手から勝利を収めることもあり、更にはリーグ戦に優勝して団体トップに立つこともあり、彼の地味なレスリングが見直され『いぶし銀』と呼ばれるようになったんです。


新日本プロレスに復帰してからは度々タッグチャンピオンに輝くなどその活躍は知られることとなり、やはり新日本プロレスには欠かせない存在となったのでした。


引退後年月を経た今、YouTubeで発見した試合の動画を観て彼の偉大さを改めて思い知るのでした。


1989年5月22日福岡国際センターにて行われた日・米・ソ・三国対抗戦の日本対ロシア戦の一戦木戸修対ビクトル・ザンギエフ戦。
互角のグラウンドレスリングを展開する中での一場面、5:00過ぎの木戸修選手のフロントスープレックスに大感動!
そのあとローキックからのアキレス腱固めに捉えた場面では涙が滲んでしまいました。


そして互角の試合を展開しながらも、最後はザンギエフの足固めであっさりギブアップ(汗)
ここいらへんはやはり木戸さんです。
ロシア勢に花を持たせて対抗戦を面白くして、次の試合の長州力の勝ちに重みを持たせる役割を見事に果たしています(とワタクシは思っています)。
勝とうと思えば勝てるんです(とワタクシは思っています)。


 普段は派手な技は控えてスター選手の引き立て役に徹する木戸さん。
 実力をアピールせず、いい意味で仕事に徹する姿勢、これもプロレスラーのあるべき姿の一つだと思うのです。
 全員が「我も私も!」では興行は成り立ちませんからね。


今はどの選手も大技や目立つ技を使っているイメージがあります。
なので第一試合からド派手な試合が多い。
なので第一試合からメインまで同じような試合が続いてしまいマンネリに。
だからメインのスター選手の大技、決め技のインパクトが薄くなってしまっている、そんな現在のプロレスの状況に危機感を覚えてしまいます。


昔の寄席でもそうでした。
前座では「誰このおっちゃん?」みたいな芸人さんが出てきて地味でさほど面白くない芸を披露しています。でもなんだか退屈はしないんですよね。
で、徐々に面白い芸人さん達が登場してトリの芸人さんで大爆笑!って展開。
これが本当のスターシステムっていうのでしょうね。
だからスターが本当のスターでいられた、いい時代でした。