やってもたー!日記

大阪・門真でライブカフェやってますが、内容はそのことだけにこだわらず自由に投稿してゆきます。最近公私共に「やってもたー!」と思うことが多いのでこんなタイトルになりました。暇つぶしに楽しんでもらえると幸いです。

諦観は言いすぎだなあ

ちょっとおセンチ(?)なこと書きます。


いつものように自動車でLivePsCAFEの食材の買い物。
門真市内の大手スーパー4階の駐車場に駐車して車から出る。
窓のない風が吹き抜ける駐車場から門真市の風景を眺める。
ビルが増えたなあ、と思いつつその反面、変わらないなあ。
そう、何年たってもこの景色、特にどこら辺がどの町か、そしてちょっとした建物は何なのか判るんです。
かつて門真市役所に勤めていたから余計に判ります。


と、そのとき別の想いが。
なんだかんだ言ってもこの街が私が拠るべき確たる足場なんだなあ、と。


というのもさらにその前日、用件があり大阪ミナミへ繰り出しておりました。
おなじみの戎橋や道頓堀や法善寺などを歩いていて思ったのです。


大阪市に住んでいないのに、たまに大阪市内に出てきてこれらの「いかにも大阪」なスポットを誇らしく語る人って、地元に何の想いも拠り所もないのかなあ?
千葉県にあるテーマパークが東京を名乗るような後ろめたさはないのか?


たとえばの話ですが、遠方から知人が来て大阪市内を案内してくれって言われたら案内するけど、「どや?情緒があってええやろ。ここがわしらの住んでる大阪や!」みたいな自慢するような案内の仕方は絶対に出来ない。
自分自身が白々しく恥ずかしくなってしまう。


地元の商店街とかなら少々は自慢げに語れる。そこで店を構えて商売しているから。
自分はそこで根をはって生きているから。好むと好まざると。


人は基本的にいつかは一つの街に、しっかり根をはって生きてゆくものだと思う。
いつかは安住の地と繋がってゆく人々を見つけてそこに骨をうずめる。
私の場合は今になって気付いたが、生まれながらにその地は門真だったってこと。
この歳になったらそのことを自覚しつつあります。


スーパー駐車場に戻ります。
門真市の景色を眺めていてさらに気付く。
この街からはもう逃れられないんだなあという諦観、いや諦めですね。
少し涙が出そうになってきた。