ほとんどみんな必要な存在だ、と思う
会社でも学校でも必ず居ますよね。
いわゆるできない子。
仕事も勉強も成績を上げられず、上司同僚同級生に、ひどい場合は教諭にも馬鹿にされる日陰の存在。
クラブ活動なら万年補欠の戦力外。
昔なら、そんな存在でも余程でない限り受け入れて存在価値を見出そうとしてくれる大らかな上司や仲間がいて組織もそれを許容する余裕がありました。
いい意味での共同体があちこちで成り立っていたはずなのに。
いつの間に世の中変わってしまったのだろうか?
できない子を許さない、排除しようとする余裕のない組織が増えましたよね。特に自治体や優良企業で。
一部の新興政党政治家の公務員叩きが高じ、できない子を排斥して有権者の喝采を浴びようとする安っぽいポピュリズム。政治家は声高に叫ぶだけで、実際に排斥作業を執り行うのは職員。仲間をシビアに評価して、場合によっては首を切るよう仕向けなければならない。
こんなに辛いことはないよな。
でもね、多数の人間の中からできない子を切ってもまた新たなできない子は必ず現れる。
組織とはそういうものだとワタクシは思う。
相対評価の社会だもんね。
世の中できる子ばかりになってしまうことは絶対にありえない。
スポーツにたとえてみる。
だってお前は最下位だ、といって最下位チームをリーグから追い出しても新たな最下位チームは絶対に出てくる。
そうやって永遠に最下位を追い出し続けるのかい?
ホークスはバファローズが負けてくれるからリーグのトップに君臨していられると言っても過言ではない。
おっと、自虐的になっちまったぜf^_^;
世の中できる子もできない子も両方いて成り立っているんだと思う。
できない子がいるからできる子も存在し得る。たくさんのできない子が底辺を支えているからトップも存在し得る。トップたちはそれなりの所得を得るんだからたくさんのできない子のために働くくらいの気持ちでいて欲しい。
この国が、日本人が再びかつての大らかさを取り戻し、ある程度の生活格差はあれども誰もがゆとりを持って暮らせることを切に願う。
念のため、できない子は出来る範囲で頑張ることは忘れちゃいけない。
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