しがらみ
ある自称歌手がSNSで自作の歌詞を公開した。
その一節、
「しがらみなどから開放されよう」
だって。
青臭くて吐き気を催します(笑)
よく使われる言葉ですな。たとえば政治家が選挙中に「ワタクシにはしがらみがないので自由に政策を進められます!」とか。
そういう政治家に限って凄くカルトな団体から支援を受けていたりして…。
それか自身がカルトとか(笑)
どうも悪しきものとされているようでかわいそうな言葉ですね。
で、ついでなのでその意味を調べてみました。
しがらみ、柵、笧
しがらみ(柵)とは、川の流れをせきとめるために杭を打ち並べ、その両側から柴や竹をからみつけた装置のこと。そこから、「浮世のしがらみ」のように、ものごとを邪魔するもの、身を束縛するものを例える慣用語として使われている。あなたの周囲にも、「友だちじゃないか」とか、「あんときオレが助けてやったよな」とか、「あんなにつくしたのに別れるって、どういうこと?」などと言いつつ、あなたの手足にまとわりつき、からみつく、「しがらみ族」がいくらでもいるはずである。
本来は日本人が生きるために作り上げたものが時を経るに連れて悪い意味が定着したようで。
でもこうして調べてみると人間関係に使う言葉としても元々は悪いものではなかったような気がします。
ここからは私の想像。
悪く捉えると、劣化した共同体社会から構成員がとびださないように囲っておくもの。つまり閉じ込めておくもの。
良く捉えると、共同体で共存してゆくため、外部から仲間を護り、また悪しき外部に飛び出さないように良い意味で囲っておくもの。
となると良い意味でのしがらみを大切にしたいですね。
しがらみそのものを字面だけで否定してしまっては進歩がない。
震災の際には「絆」という言葉が良い言葉としてもてはやされましたが、反面、人と人を縛り付けるもの、という意味もあります。
言葉は正しく上手に使うよう心がけたいですね。
もちろんワタクシも未熟者ではありますが。
あらゆるしがらみを断ち切るなんて全く不可能なこと。
人と人は関わりあって、多少の迷惑を掛け合いながらでないと生きられないもの。
生きるためには不本意なしがらみだって受容しなければならないこともある。
完全に人間関係のしがらみを断ち切るなら山奥に閉じ篭って仙人にでもなるしかないね。
それかジャングルの王者か(笑)
でも、仙人でもジャングルの王者でも自然とのしがらみは避けられないよ。
それからしがらみの意味の「ものごとを邪魔するもの、身を束縛するものを例える慣用語」や「あなたの手足にまとわりつき、からみつく、「しがらみ族」」ってところ、誰かを思い出してしまった!
皆さんの周りにもそんな人いませんか?
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